「ウルド、いらっしゃるのでしょう?
可哀想に……彼はギャサ《Geasa》をかけられたわ」
「愚かな人間を哀れんでいるのか、フィラよ。揺籃は打ち砕かれた。
あれは残骸から這い出て進まねばならない、それだけの事だ」
フィラ――少年に緑石を授けた詩人に、冷酷な台詞だけを返した男――ウルドが振り返ると闇夜に白銀が煌めいた。
額飾りとローブに刺繍された複雑な紋様は、ヨールの中でも預言や祭祀をも司る高位の僧の印だ。
「お前も分かっているだろう。
『英雄』が一人生まれる迄に、如何に血が流されるのか」
「……これはただの戦ではありませんわ」
美麗な眉をひそめ、詩人は無意識のうちにハープに触れた。
それは遥か昔彼女を愛した樵が捧げたものだった。
千年を生きる樹すら躊躇いなく切る人間を森の民は蔑んだが、フィラは違った。
「ウルド、人間たちは愚かです。 欲望に駆られ過ちを繰り返している。
けれど……
空を舞う鳥に素直に驚嘆し、翼が欲しいと願う
その幼い憧れをこそ私は愛しく思うのです。
鳥の行く末を、風の方向を案じる私たちとは違う」
男の突き刺すような眼差しにハープを持つ詩人の手に力が籠った。
ヨールの細工師が見れば笑い出すほど無骨で歪な装飾だったが、
そこに込められた無限の憧れと情熱とが彼女を奮い立たせた。
「この森はいつから臆病者の隠れ家になったのですか?
今の私たちは根を張り、動かず変化を恐れているだけ。
実を結ばぬ枯れた巨木と同じです」
可憐な姿におよそ似つかわしくない、挑むような態度にウルドの肩が上下した。
どうやら笑っているようだった。
黎明を待つ空に、冷やかさを保ちつつも僅かに声色を変え、
詩人に背を向けたまま誰に向けてか、彼はこう言った。
「人間達は軈て鳥の翼すら模して空を駆けるだろう。
だが、我らにそれを見届けることが出来るだろうか?」