(あと少し、もう少しだ

名高いあのサイロム司祭様なら、きっと僕を助けてくれるだろう。

隣町までは8ルース……休まず歩けば夜明け前までに間に合う。
少年は傷だらけの身体を必死に鼓舞し、闇に紛れ歩き続けた。



街外れに位置する古びた教会に倒れ込むように扉を開けた時、熱心な司祭は未だ祭壇に居た。




「その剣は……」

驚きのあまり途中であった書き物が静謐を乱す音を立て床に落ち、暗闇に光る剣に劣らず若き司祭の双眸は輝いた。


 「まさに聖なる剣そのもの。なんと――では、貴方こそが伝承の救い主なのですね!」


自分を預言の救世主と露ほども疑わない喜びに満ちたその眼差し。

血と汗に汚れた服と真逆の輝かしい金刺繍の大司祭のローブ。

少年は目を逸らすのがやっとだった。 


「いいえ、違います。これから英雄にならなくてはいけないのです。

教えて下さい。僕の進むべき道を。」 


「それは……もちろん万民が望むのは魔の撤退、悪の断絶でありましょう。

 ドゥネモアルゴの洞窟には凶暴な竜が今も居座っております。」


 「その剣が聖剣と呼ばれる所以は、大陸の初代王を助けた英雄ダグ・レスが
竜の心臓に突き立て退治したという伝説故なのです。」


明らかに怪訝そうな表情、窺う様な司祭の戸惑いが、
忽ちのうちに少年を密やかな胸苦しい不安で塗りつぶしていった。




「まさか、何もご存知ない……?」 




竜?

伝説?

英雄が居た?


彼は何も知らなかった。

何も、知らなかった――。




「……分かりました。行ってみます。」

耳が何処か遠くから聴いたそれは、自分の声とは到底思えなかった。
それ以外の言葉をどうやって発すべきかはもっと分からなかった。



「お待ち下さい!

 盾もお持ちにならず、どうして邪竜めの炎を受けることが出来るでしょう?」 



「司祭様。僕が初めに焼き尽くしたいのは、この腕です。

 どんな魔物よりも先に滅ぼしてしまいたいのは、この左手です。

 こんな忌まわしい剣を抜いたのですから……」 



司祭サイロムは少年の血の滲む細い腕を見、それから、きつく瞼を閉じた。


(なんということだ)



人々の希望そのものである英雄が、誰よりも濃い絶望の只中に居る。

孤独を極め、牢獄に繋がれ……



少年の目は、懺悔をし赦しを求める罪人(つみびと)のそれに、驚くほど似ていた。




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