「どうか私もお供させて下さい。そのような細腕で魔獣や邪竜と戦うなど、
いや失礼ながらそのお顔色、二晩三晩ではとても、旅の疲れも癒されまいかと……」
「奴らの狙いはこの剣です。すぐにも追ってきます。ここにも長くは居ません。」
喘ぐように少年は司祭の歎願を遮った。時間が無い。
立っているのもやっとの疲労にも関わらず剣は血と汗が染み込んだ服よりも重くはなかったが、
痺れか寒さでか手の震えが止まらなかった。
伝承の『英雄』は、まるで目を覆いたくなる程に――否、『自分』はこんなにも無力であったのか?
暗夜に蠟燭を頼りにあれ程学び祈り、学友に競り勝ち上り詰めた大司祭の地位。
何の為に、私は今この祭壇に立っているのか?
就任以来頭角目覚ましく、早くも歴代最も才覚ある司祭と呼び声高いサイロムは
苦渋に満ちた顔を隠し衣を蹴るように祭壇の裏の小部屋へと向かい、最奥に仕舞われていた古い小箱を開いた。
「ならば、ならば、せめてこの外套を。
これはこの地に伝わるシスランの糸から織られたもの。
夜の寒さも多少なりとも凌げましょう。」
いつか現れる救世主のために織られた、純白の外套。
妙なる恒久の平和への、救いの願いを託し、彼の人の肩にこれを掛ける日をどんなにか待ち望んでいただろうか。
それは賢者以前、古よりの神に仕える者としてこの上ない誉れではなかったか。
空気のように軽く柔らかい外套を纏い、少年の頬には苦い味がした。
サイロムは、それが彼には大きすぎると知った。
細い肩に過ぎる荷を乗せた清廉な両手は、差し込む月光に虚ろを掴んでいた。
「……剣の導かれるがままに歩まれよ。疲れを覚えたならば杖とし、その身を預けなさい。」
肩に置かれた司祭の大きな手のひらと、伝わる温もりに、少年は乾いた唇を震わせた。
「ありがとうございます。」
彼は目を伏せて短い礼をやっと言い、 直ぐさま背を向け逃げるように聖所を去った。
振り返る事は、あの「印」を視界に入れる事はもう出来ない、と全身で拒むかのように。
立ち尽くしたまま教会を出ていく細い影を見送り、司祭もまた寄る辺なき暗闇に取り残された。
そして空を――質素な飾りがなされた天蓋を仰ぎ、殆ど無意識に聖句を口ずさんだ。
自分にも視る事が出来ない窺い知れない何かに向けて、初めて、唯ひとりの為だけに祈った。
「偉大なる神々よ。この者に天の加護を、地の恵みを、青き潮よりは遙かな慈悲を――」
何万と繰り返した文言の筈だった。
しかしサイロムはそこに込められた意味を、漸く解したような気がした。
彼は一人祭壇にもたれ掛かり、神の印を力無く見上げた後、両手で顔を覆った。
詠唱のままに開かれた口から漏れた嘆きは、誰にも聴かれてはいけなかった。
そう、誰にも。