遥か昔、この森は吟遊詩人に【黄昏の国】と謳われていた。
王国には樹木と心を通わせ、風に彼方の言葉を聞き、水面に未来を映す謎めいた人々が暮らしたという。
人間達が彼らを森の神々の末裔と讃えていたのは、果たしていつの時代までだったろうか。
生れ落ちた人の子らはまだ幼く、弱く、偉大な何者かの庇護を必要としていた。
まだ疑うことを知らなかったがために、彼らから与えられたどんな教義も贈物として丁重に受け取った。
さながら見知らぬ旅人の掌から躊躇いなく水を飲む小鹿のように……
しかし人が未熟ながら己が社会を成すに従い、自然に対する畏怖を失い、精霊への信仰が薄れていくのは当然のことであったのか。
その頃には黄昏の民も、幾度と無く繰り返される戦乱を忌み嫌って隠遁を好むようになっていた。
彼らが竜や魔人と同様、詩歌に詠われるのみの存在となるまで、そう長くはかからなかった。
「よこしまな炎……」
白い指が闇の中でひらめくように銀色の弦を撫ぜ、その響きは悲哀を滲ませた。
「炉辺の暖と炊ぎ火と同じものだというのに、あのように用いられるとは悲しいことです」
ヨールの詩人は再びハープを手に取った。
またひとつ、弦を弾いて、詩人は眉をひそめる。
音が違う。
「……耳を澄ませ。木々がざわめいている。風のせいではない」
森の長の重々しい声が響く。
と、ヨールの民の尊大な笑みが一つ、また一つ消え失せた。
「ただの戦ではないと、そう仰るのですか……?」
驕りが払われた彼らの顔に、若さもまた失われていた。
打ち沈み、長の返答を待つ姿は、憂いだけを樹齢に刻んだ老木にも似た。
「黄昏は移ろい始めた。星月の照らさぬ夜を憂うならば、樫に守護の聖印を――」
森の奥底から響くようなその声は、永い間彼らが忘れていた畏れを呼び起こした。
樫の守り人達は、美しい指で星座をなぞる様に空にルーンを描き始めた。
宙に結ばれた刻印は燐光のように淡く瞬き、なめらかな樹皮に消えた。
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